ここではるみいさんの手記をお届けします。
事の始めは小沢さんから半ば横取様に買い取ったバートラム31の購入を
決意した時からだった。ogaogaさんから「手伝うから回航しようよ」の一言で心が揺らぎ始めた。
そして、途方も無き計画、ルミクラ回航計画、、、徳山東京間600マイル1100キロを駆け抜ける草案がまとまり、クルーに小川氏ogaogaさん、渡辺氏浜さん、
小沢氏Ozさん、木下氏Kazzさんのご協力を得て計画はスタートした。
(木下さんはお仕事のご都合上あえなく断念され、小沢さんは回航5日目以降のお約束であったが、予定より早く到着してしまいご活躍の場が有りませんでした。
この場をお借りして御礼申し上げます。)
クルーのご紹介をここで一通り・・・
浜さんはこの道20年以上のベテランで19ftで大島に行ったという強者でご職業はプロのメカニック。エンジン関係は滅法強く強力な助っ人。
大島などに幾度と無く足を運ばれた大ベテラン。
ogaogaさんも海関係の遊びにどっぷり漬かっており、その知識は半端ではなく研究熱心なうえ非常に慎重派。余りの安全装備品を積みすぎたために重さで耐え切れず船が沈んだという、絵に描いた様な石橋を叩き壊す男。
そして私は、、、言えるキャリアが無いから、、、今回のおまけといえましょう。
用意は約一月前から始まった。海図の用意、避難港の確保、現地漁協への燃料手配の可否、危険水域の調査、船舶検査の書き換え、臨時航行の許可、
免税券の手配、船体本体の整備、修理備品の調達、航海用具の選別調達、
交通の手配、その他諸々、、、わずか一月しかないので焦りと期待の時間だった。
当初、回航という「物体の移動」しか考えていなかったが、実際に調査研究を
進めていくに従い概念が根本から変わっていき最後には「航海訓練」という
気持ちに変化していくのに気が付く。そして不安が大きくのしかかり出航数週間前から毎日夢に出てくる始末だった。
「本当に出来るのだろうか??」
とり付かれたような一月があっという間に過ぎ去り、11月20日、回航前日がすぐにやってきた。クルーogaogaさん、浜さんは当日朝一番の飛行機にて山口宇部空港入りする予定で、私は一足先に現地に入り、最終チェックを行いたかったために前日夜の夜行寝台特急にて東京を後にした。
寝台の中で夜の町を眺めつつ、そして約11時間の乗車時間をほぼノンストップで駆け抜ける列車のなかから、「これだけの距離を船で走るのか・・・。
尋常な距離ではないなあ・・・。」とふつふつと重い気分がのしかかる。
眠れない夜を過ごし、早朝、山口県徳山市徳山駅に降り立ち一路マリーナへ急いだ。
朝露にぬれたLumyclassicに対面する。これから600マイルを共にする船。
なのにまだ試乗程度しかしていないのである。
乗り物は全てそうだが自分の物になり初めて向かい合うときは期待と興奮につつまれるが今回ばかりは何とも言えない不思議な気分を感じた。
時は0700。ogaogaさん、浜さんの到着予定1030までに出航準備を済ませなければならない。
東京から手持ちで持ってきたGPSを取り付け、宅急便で送った荷物をひも解く。
送った荷物は何たらかんたらでみかん箱換算にて15個!
マリーナの方にも笑われてしまった荷物量だが、、笑いたい奴には笑わせとこう。備え有れば憂い無しだ。と思い、結局この量になってしまった。工具のみでダンボール一つ分になってしまったが・・・。)^o^(
1030出航に際し水面に降ろしてもらう。一応マリーナの方と動作確認と言うことで近所を乗ることにした。自分の物になって初めての出航である。
桟橋を離れ加速をする。エンジンは全く問題なく回転を上げていった。
波きりをみてみたく波に向かおうとしたが湾奥マリーナの為全くのべた凪なので通過中の漁船の引き波を狙ってみた。
引き波を超える瞬間事件が起こった。目の前が一瞬真っ白になりそしてその瞬間大音響が鳴り響いた。そして私に向かって無数の固まりが飛んできた。そう、フライブリッジオーニングのポリカーボーネイト製のウインドスクリーンがはじけ飛んだのであった。
しかし青波がぶつかって割れた訳ではなく引き波を超えただけである。
私「まじかよ・・・」
マリーナの人「ポリカーボってこんなにもろいもんかのお・・・」
まったく予定外の出来事である。
割れてしまったものは仕方が無い。一度マリーナに戻って仕切り直しだと帰港するとちょうどogaogaさん、浜さんが到着して桟橋から手を振っている。
しかしガラスが割れたのが判明し、何とも言えない怪訝そうな顔をしている。
ああ、、先行きが、、、本当にブルーな気分になってしまった。
悩んでも仕方が無く割れた破片を処理し、1時間後れで出航である。
本日21日のルートは備讃瀬戸東航路西側入航路の南側にある「仁尾マリーナ」に向けて本船航路をひた走る予定だ。
瀬戸内海を走るにあたって先輩諸兄より沢山のアドバイスを頂いていた。
「網には十分注意せよ」「大型船舶には気をつけろ」などなど・・・。
とくにルミクラはインボード艇の為に網は天敵である。十分に注意をしながらの航行となった。
しかし、航行してみると海図で見るよりもずっとずっと広い瀬戸内海であった。もっと細々したところを想像していたのだが、場所によっては水平線が見えるほど広いではないか。そして岸より1マイルも沖出しすれば全くといってよいほど障害物が無い。また、東京湾に比べ比較にならないほどの海の奇麗さであった。
当初水溜まりの様な地形なゆえ、もっと汚い海を想像していたのだが全くの外れである。島はたくさん有り、無人島のようなところも無数に有る。入り江も奇麗で釣りをするにもクルージングするにも事欠かない。
東京湾で育った私にとっては十分すぎるインパクトを与えた海であった。
そして身にしみて感じたのが浮遊物の少なさ、ごみの少なさである。
出航より日暮れまで走ってゴミらしきゴミが見当たらないのである。
さらに波の素直さに感動した。マリーナが言うには本日は荒れているとのこと。
風波が確かに立ってはいるが三角波らしきものは見当たらなかった。
本船航路をひた走る。エンジンは問題なく順調に回り、巡航23ノットで航行する。
行き交い船がたまにある程度でとにかく穏やかな海。風光明媚な海である。そんな穏やかさの中で緊迫感が迫る航路に入り始めた。
激流で有名な「来島海峡航路」である。
近づくにつれ波が変化をし始める。様々な潮目が訪れ、その度に渦や三角波が立っている。来島海峡独特の「潮流信号所」が視界に入り始めクルー一同、はじめて見る海峡に興奮気味であるようだ。
ogaogaさんは身を乗り出して写真を撮っていた。 当日の来島海峡は逆流の潮流4ノット。先ほどまで23ノットを指していたGPSが確かに19ノットに減っている。最高9ノットまで流れると言う。ヨットなどではかなり気を使わなければならないだろう。
しかし20ノットも出せるボートならば殆ど問題はなさそうな感触であった。
正直なところ新中川〜荒川合流のハープ橋下とか、海老取川出口狭水路のほうがプレッシャーがかかる思いがした。案ずるより生むが安し。ってところか?
そうは言っても慎重に操船したのは言うまでもない。
来島海峡を後にして一路目的地仁尾マリーナへ。
元の平和な海が再び訪れ快調に飛ばしていく。
1600仁尾マリーナに入港。そして給油。ガラス事件によって遅れた1時間は完全に取り戻せた。
給油をすませ、エンジンルームの中間点検を行う・・・。
すると!!!なんと、右舷ギアボックスギアオイルがオイルレベルゲージで計測不能なほど減っているではないか!!
オイル漏れ??とっさにエンジンルームを見渡すがもれ落ちた形跡はみあたらない。何故??どうして??理由がさっぱりわからないが、今のところは焼き付きなどの兆候は見られない。取りあえずオイルを補充して様子を見ることにするがここでまたもや事件発生!!
エンジンオイル、ギアオイルともに積み忘れていた!!!
・・・何たる失敗、、何たるミス。。
あれだけ確認したつもりなのに我ながら情けない・・・。
積み忘れの失敗は、ガラス事件であった。本来、出航時にマリーナよりオイルを購入する算段であった。そして出航前オイル点検もやる予定であった・・・。
が、粉々に砕け散ったガラスと共にその記憶も粉々になり忘れ去られていたのだ。
幸いギアボックス破損には至らなかったものの、後一歩でエンジン降ろしての大修理になるところであった。「どんなに慌てていても鉄の心臓を持て」と以前誰かが書いた航海記に書いてあったが、正にその通りだと身を持っての体験となった。
不幸中の幸い、マリーナにての給油の為にオイルを分けていただけて航海を続けることが可能になった。
給油をすませ、エンジン点検を済ませるともう日没に近づいている。これから先のルートは夜間航海になるわけだ。
この夜間航海に関しては出航前のルート決定でogaogaさんと散々話し合って出た結論だった。夜間航海の条件として
「昼間に走った感触で完全手放し運転が出来るほどの海の状態だったらやってみよう。瀬戸内海のルートは全てが本船航路を走る予定だから網の心配は無い。レーダーワッチ、肉眼ワッチ、、操船と手分けをして
夜間航海訓練をやってみよう。」
このような結論が下されていた。
幸い昼間走った限りでは全く問題が無いと実感したために、夜間航海訓練に踏み切った訳だ。
日没の仁尾マリーナを後に、本船航路までは入港ルートを逆にたどった。本船航路まで出る間にどんどん暗くなっていく。
昼間はあんなに穏やかに思った海だが視界が制限されるとなんとも不安になる。たまに押し寄せる大きな波で大きくローリングしながら意味も無い奇声をあげつつ無言になるクルー一同だった。
しかし本船航路に入ってからは街が近くに有るために非常に明るく見通しも良い。航路ブイもしっかりしており座礁の心配、網の心配も無い。
途中マリンVHF16chから「備讃瀬戸東航路宇高西航路交差点に小型船舶が航行中、各船注意されたし」と流れてきた。ん??俺達のことか??と大爆笑の一同だった。
それにしても夜の航海は紙の上とは違うのを改めて実感した。
灯台の灯質、光の到達距離、本船の灯火の見え方などなど貴重な体験が出来たと感じている。ogaogaさん、浜さんのきちんとした知識の持ち主と共にそれぞれが、それぞれの役割を果たしながら航海する事の大切さ、そしてワッチの重要性を再確認した。私にとって貴重なスキルアップの場であったといえる。
夜の航海の中で、瀬戸大橋、明石大橋のライトアップされた勇姿を見ながら下をくぐっていく。その度に「ここまで来たんだなあ・・・」と実感しながら船は進んでいく。備讃瀬戸航路を抜けて淡路島を時計周りに迂回し、神戸沖、明石海峡、大阪港沖、友が島水道と淡路島を一周するようなルートにて航海は続く。
明石海峡を2400に抜け淡路島東側を南下をはじめる頃、クルーに疲労が見え始めた。
無理は良くない。
淡路島を抜け、友が島水道を抜ける辺りで今日は切り上げよう。
何時の間にか日付が22日に変わり、
午前0200、和歌山県、和歌山シティーヨットクラブに入港しステイとなった。
小汚いルミクラ、まともな寝床は無い。 ogaogaさん浜さん、疲れてるところごめんなさい・・・。寝床に入ると夢も見ずにすぐに深い眠りに落ちていった・・・。
船を叩く波音で目が覚める。22日午前6時を回ったところで空は既に白んでいる。
眠い・・・。猛烈に眠い・・・・・。だがここで寝込んでは何の為に前日頑張ったかわからなくなると思い起床となる。「皆さん朝ですよ」
出航準備を整え、機関チェック。昨日少なかったギアオイルも減っている様子も無い。よし出航だ。
本日の予定ルートは紀伊半島西海岸の田辺港田辺マリーナにて給油後、最悪でも60マイル先の紀伊半島先端串本港、波によっては紀伊半島東海岸尾鷲港若しくは紀伊半島東海岸付け根の大王崎までの予定だ。
和歌山を出航して一路南へひた走る。空は快晴。風は北東の風推定6メートル。
今日も頑張ろう!
さて、ここからは外洋となるわけだ。自分にとって城ケ島近辺以外の初めての太平洋である。潮の色は黒に近い深い青色で素晴らしく美しい。瀬戸内海の緑色系統の海とは明らかに異なり外洋に出た実感がこもる。
また、心配した風も半島の風裏となり、うねりも少ない。天候に関しては神のはからいを感じずにはおれないほどの絶好の条件であった。なにせ出発前日までは大荒れでこの近海は波高6メートルと報道されていたのだから・・・・・・・。
2時間ほど走り田辺港へ入港針路を取る。
「変針北東へ!右舷の暗礁に注意!」「アイアイサー」
田辺に変針し入港直前のその時、フライブリッジにて警報音が突然鳴り響いた。
何だ!何が起こった!!と、計器を覗き込むと右エンジン水温計が跳ね上がってる。
原因はベルト切れであった。
片肺航行を余儀なくされ、その間にベルト交換を行うが冷却パイプ経路を外さないとベルトがかけられないことが判明した。
仕方が無く配管を外そうとしたが・・・パイプクランプの向きが悪くマイナスドライバーが入らない。ラチェットレンチで外そうと試すが、何とインチネジの為に合うコマが無い。
これをすべてモンキーレンチで外すのか??と一瞬くらっと来たが、劇安ツールセットを積んでいたような気がして探してみると・・・
あった!!980円劇安ツールの中にインチコマが入っていた。
取りあえずそれを使い事無き事を得たが大きな教訓を得た。
「工具は必ずすべて持参すべし」。
これは実は私のポカで、ogaogaさんにインチ工具を事前にお借りしていたことをすっかり忘れ、てっきりogaogaさんが送ってくださっているものだとばかり勘違いをしていた。。。申し訳ない・・・。
海上にてベルト交換が終わり、エンジンをかけてみるとすぐに水温計はさがっていき一安心、入港となった。
1030田辺を出発しいよいよ難所の紀伊半島先端串本だ。
この近辺は黒潮海流がぶつかり、風向きにより時に10メートルを超す波になるという。
今回、仕事の都合上御一緒できなかった木下氏にも再三にわたり注意を頂いた場所である。
気持ちを引き締めて串本へ南下していくが・・・
うねりは殆ど無し。そして風裏の為に非常に静かな外洋ではないか。全く恵まれているとしか言いようが無い。
23ノットから26ノットへスピードを上げて突っ走っていく。
それにしても何と気持ちが良いのだろう・・・。振り返ると巻き上げる曳き波の色が奇麗なブルーで空には海鳥が並走し奇麗な青空・・・。あ〜海だぁ〜〜〜。
1200正午、無事紀伊半島最南端串本を左舷90度に見る。ここより南下が終わり、一転して北上となる。
先ほどまで風裏だったがここからは正面向かい風になる計算だ。
串本沖を通過すると予想通り向かい波となる。波高は平均して1.5-2メートルと言ったところで航行上は全く問題ないが、完全な風波で波長が非常に短い。
ちょうど船と波長が合ってしまい、一波ごとに脳天に響く叩き方になってきた。
今回の航海で一番荒れているといえる状態である。
17ノットまで落とすと殆ど叩かずに楽になるが、距離を稼げるときは稼ぎたいために人間のことは考えず叩きまくりの23ノット巡航でかっ飛ばしていった。
たまに波高が2メートルを超え、割れたガラス窓より盛大なスプレーが入ってくる。しかし、そんなものにはめげませんぜ、走れるときは走りますぜ私たち。。
ってなもんで出せる限りぶっ飛ばしていった。おかげで腰に来たが・・・。
叩きまくりの状態が2時間ほど続き1400頃、紀伊半島東海岸中ほどの尾鷲港沖まで到達した。日没に尾鷲到着の考えであったから3時間以上の時間を稼いでいる。この分なら大王崎、もしくは、渥美半島を超えて浜名湖まで手が届きそうである。給油の必要も有ったために浜名湖のマリーナに電話連絡すると浜名湖スズキマリーナにて給油が可能だとのこと。 よし、行けるだけ行ってみよう、、、ということで叩きまくりの中、更にスピードを上げていった・・・。
ところでこれだけ走りづめだと食事はどうしたのかと疑問の声が出そうである。当初は粗食覚悟でカップラーメンなどを考えていたが、それすら食べてる時間がもったいなく食パンをかじりながらの航海となった。唯一のおかずはマーガリン。最初は味気なかったが、このマーガリンの味がたった一つの食事の楽しみになってきてしまうほどの粗食であった・・・。
航海中は順番に食事をとりながら、、、といっても食パンと水しかないが、、、
船を進めていった。尾鷲沖の叩きまくりのなかで私の食事順番となりアフトデッキで盛大なスプレーを見つつ食パンをかじる。
乗船前は正直船酔いの心配をしていたが、これだけ揺れてる中で飯が美味いのだから・・・よかったよかった、、と一人納得をしながらマーガリンをなめていた。そのうちウトウトとしてしまい・・・いつのまにか眠りについてしまった。ogaogaさん、浜さん、操船させといてゴメン!!
ふと目が覚めると1530。一時間ほど寝てしまったようだ・・。
さっきまで叩きまくっていたのがいつのまにか静かに滑走をしている。後ろを見ると水平線の上で太陽が大きくなっている。
水面はまるでガラス細工の曲線のように僅かなうねりは有りつつも夕日の姿を崩さず写している。なんて奇麗なんだろう・・・。この夕日はそうはみられないかもと思いしばらく航跡の向うをじっと眺めていた。 この美しいほどの水面・・・恐らく浜名湖に入ったな・・・眠ってしまい悪いことをしてしまったな、、と反省しながらフライブリッジに上る。
GPS画面を覗き込むと驚いたことに渥美半島沖合い約8マイル。
さっきまでの波は何処にいったのだろうか?? 大体ここは太平洋沖合い8マイルだぞ!?
操船をしていた浜さんに「ここ太平洋なんだよね??」と改めて聞いてしまった。なんでも大王崎を通過してから、すっと風が収まりべた凪になったとのことである。
海とは不思議なものだ。まるで生きているようだ・・・。先輩諸兄のお言葉を実感した一時であった。同時に何時荒れ模様になるかも知れないことを納得し恐ろしさも改めて再確認した出来事だった。
凪の中をマックス30ノットで突っ走る。時折うねりで軽いジャンプをするのみで鏡のような水面を切り裂いていくのは何とも言えない快感だった。 そうして日没直前に浜名湖へ入港できたのだった・・・・。
無事浜名湖へ入港する。馬入川並に難所だと聞いていた浜名湖今切口も全くのべた凪。本当についているとしか言いようが無い。
しかし入港後、事件が起こる。給油目的地へ向かったところ、一部橋脚が深くて入れないではないか!確かここはヤマハのお膝元。雑誌でpc41の体験記など載っているではないか??あれは何だったのだとマリーナに入港方法を確かめる。しかし結局最大限に潮が引かなければくぐれないことが判明してしまいなんてこったの一同であった。
じたばたしてもどうにもならない。時間も時間で他の漁港にいっても給油は不可能。
諦めて浜名湖河口の漁港にステイすることになった。
着岸し、着岸許可を取るために漁協へ向かったが既に終業時間後である。近くに一隻の漁船がいたために邪魔にならない岸壁を聞いたところ
「遠慮せずに使え使え。そんなこといちいち漁協に言う必要ないよ。
なんだったら俺の船の横に来な。ここなら水も入れられるからよ」と
親切なお言葉を頂いた。ものはついで、、と言う訳では無いが給油場所は無いかと尋ねるとその漁師さんの給油カードで我々の船に給油してくださると言うではないか。しかもリッター40円で良いという。地獄に仏とはこの事で感謝してもしきれないほどである。
お礼にお酒でもと思いお渡しするがどうしても受け取ってくださらない。
ついには 「俺が東京湾で漂ったら曳航してくれや」、、、と。。
あの時の浜名湖の漁師さん、ありがとう御座いました。この場をお借りして御礼申し上げます。
その晩は初めての陸上での食事となった。
とにかく数日間食パンとマーガリン攻めにあっているのでとにかく熱い食べ物が恋しくて仕方が無い。
岸壁のすぐ近くにラーメン屋が有り其処に入りお品書きをみつつ、、、
どれも美味そうだ。
「もつのにこみ」「若鳥のから揚げ」「野菜炒め」・・・
う〜ん、この辺全部持ってきて!!
って感じでまるで餓鬼のような我々3人だった。この時の食事のありがたさ、
美味しさ、僕は一生忘れないでしょう。。。しかし良く食べたねogaogaさん?
一気に走った航海の疲れでその日は船に戻り横になるなり眠りについた。
23日、徳山を出てから3日目の朝を迎える。今日も曳き波で目が覚めた。
時刻は0530、クルー一同8時間以上たっぷり眠り、元気一杯の朝となった。
今日の天候次第では東京湾も夢ではない。朝の凪のうちに出航だと始業点検を行い、0600まだ青白い空の下出航となった。
浜名湖河口に向かうと一隻、また一隻とシラス漁船が合流してくる。
そして我先にと皆が湾口を目指し、狭水道の中を無理に抜いてこようとする。
法律も何も有ったもんじゃなく、まるでF1のスタートのようである。
噂で聞いた横浜港シーバスフェスティバルスタートフィッシュもこんな感じなのだろうか?
とにもかくにも周りが漁船だらけで、前も後ろも漁船だらけ。
戻るに戻れず、譲るに譲れず。 だんだんこっちもその気になって抜かせるもんか!!とムチャクチャな曳き波の中を踊る様にして何とか河口を脱出できた。
太平洋に出ると風は全く無くべた凪。一気にフルスロットルにして一路御前崎沖を目指していく。なお本日のルートは御前崎沖〜石廊崎沖を抜け、石廊崎の波次第で大島波浮港または相模湾岸沿い、そして我が母港東京湾は城ケ島だ。
御前崎沖まで岸より5マイルほど沖出ししてほぼフルスロットル28ノットで飛ぶように走っていく。本当に天候に恵まれているようだ。 御前崎沖を通過する頃にだんだんと波が出てくる。斜め追い波、波高1.5ってところだろう。御前崎沖が荒れるとは聞いていたが、こんな何でもない時でもこの沖合いだけは波が出ていた。普段航行するのなら注意が必要なようである。
0900御前崎沖通過。駿河湾をショートカットして伊豆半島最南端石廊崎へ舵を切る。御前崎を通過後、やや波が少なくなり快調な航行を続けた、1030石廊崎に近づく。ここも厄介な場所だと以前から聞かされていた。そして内心一番びびっていた場所でもある。
石廊崎沖は丁度海流がぶつかり、西風が入るととてつもない荒れ方をする場所だと言われている。
しかし今日は本当についているのだろう。 確かに石廊崎沖合いでは潮の変化が認められ小さいながらも三角波を匂わす海面に変わっていく。
そうはいいつつ何の問題が無く23ノットで抜けていく。
この調子なら間違いなく大島へ向かえると判断し、石廊崎沖より大島波浮港へ転針した。
下田沖より大島間に入ると360度水平線になってきた。遠く後ろに箱根の山々が薄らと見えるだけで海のど真ん中である。
そんな時、堀江さんの太平洋ひとりぼっちを思い出す。今回の航行距離600NMを遥かに超える太平洋横断。一月近くも360度の水平線に囲まれる生活。
そして一人ぼっち・・・・。並大抵の精神力の持ち主では無いのだろう・・・。
自分には絶対に無理だ、そして堀江さんをはじめとする長距離航行者の不屈の精神力には頭が下がる。 そんなことを海の真っ只中でふと考えていた。
大島の島影が見えてきた。クルーの浜さんは大島常習者?で入港ルートも詳しい。
方やogaogaさん、そして私は大島初心者。二人して大島を見ながら「おお〜〜きたぜ〜〜〜」「お〜〜しまだぜ〜〜」「お〜凄い切り立った岸壁だ〜」と騒ぎながら、
「なんか徳山から来たことより、大島見てるほうが 遠くへ来って実感が湧きません?」
「まったくやね〜〜わっはっは。」 と、能天気な二人であった。
波浮の港は噂どおり素晴らしい所であった。
周りが緑に囲まれ、岸壁ではシマアジが泳いでいる。
横浜港育ちの私には別天地であった。 きっと夏になれば五月蝿いぐらいのセミがなくんだろうなあ・・・・
大島にて給油。約300リッタールミクラに食べさせる。 浜名湖より4時間ほどだったので燃費は時間70ってところ。 今までガソリン2機に乗っていたので大島浜名湖間が14000円で来れたことにカルチャーショックを受ける。
大島にて給油中に南風が吹き込んできた。本日の天気予報どうりである。そうとなれば長居は無用。目指すは城ケ島だ。大島よ、また来るぞ!!
大島を出発して北上、一路城ケ島だ。事実上、最後のレグである。今までの思いを胸にかみしめながら舵を握る。 波は1.5-2程度の向かい波。最後も順調な航海になりそうだ。。
城ケ島ではアドベンチャー号、HIRO号が襲撃してくださるとの連絡を頂く。
クルー一同心より感謝をした。
短いようで長いようなこの航海であったが、最後の目的地に仲間が出迎えてくれる。本当に幸せなことである。
ogaogaさん、浜さんと共に「嬉しいよね〜〜」と話しながらだんだんと城ケ島が見えてきた。城ケ島の白い切り立った岸壁がはっきりと見え始め、本当に帰ってきたんだと実感がこもる。あと3マイル、あと2マイル、、、とGPSの距離計が減っていく。そして1300城ケ島無事に入港した。
岸壁にもやいをとり、浜さん、ogaogaさんと固く握手をした。
みんな本当にありがとう。一生の思い出になったよ。
アドベンチャー、HIRO号がその後5分ほど後に入港してきた。
総勢10名もの出迎え隊ではないか。
出迎えてくださった皆さんには航海中何度も励ましのお電話を頂き、最後には三崎まで出迎えてくださり・・・本当に感激しました。
言葉じゃ言い表せないですが・・・とにかく・・・ありがとう御座いました。
三崎で名物まぐろづくしを食べながら乾杯をしていただき、残るところは本当の最終レグ、横浜港大黒ふ頭KMC横浜マリーナまでの航海だ。城ケ島を後にして最後のひとふんばりとなる。
若干の南追い波が入っていたが、いつのまにか波に慣れた自分に気がつく。殆ど躊躇無くスロットルを倒していく。今まであれだけ恐かった追い波の中で26ノットにて横浜を目指していく。準備段階から辛い事は色々有ったがこうして波に慣れて、そして一瞬のうちにめまぐるしく変わる海の表情を体で感じ、それ相当以上の収穫が有ったのだと心から思っていた。
横でogaogaさんがスロットルをしきりに押し込んでいく。
「あ、もう、いっぱいだったのね〜ん」と、ogaogaさん。
「よっしゃ〜、いけえ〜」と浜さん。
慣れ親しんだ東京湾に戻り喜びを感じているのがとても良くわかる・・。
観音崎通過、ここからはうねりはなくなり完全のべた凪。最後まで天候の神様は我々に微笑んでくれたようだ。 猿島通過。八景島通過。いよいよ遠くにベイブリッジが見えてきた。
YBM通過、根岸湾通過。そして横浜港本船航路に入る。
もうベイブリッジが目の前だ。なんて奇麗なんだろう!
あとすこし、あとすこし、、、ベイをしたから見上げ、、、今通過!!
同時に汽笛一声、、ポオ〜〜〜〜〜〜!!!一同ばんざーい!!!!!!
600マイル、尋常じゃ無い距離だと思った。実際、尋常じゃない距離だった。
でも生きて今このベイブリッジを通過できた。よかった、本当に良かった!!!!
ベイブリッジを通過後、京浜運河、鶴見川と入り、
我がKMC横浜マリーナに遂に到着。 すると嬉しいことにここにも沢山の人達が迎えに出てきてくれてるじゃないか。
ほんっっっとうに嬉しいね〜と、クルー一同で話す。 そして桟橋にゆっくりと、、、入港。もやいをとって本当にこれにて到着となった。
その横、お出迎え下さった方々が駆け寄り予期もせぬシャンペンシャワーをかけてくださる。生まれて初めてのシャンペンシャワー。もう最高に幸せの一言だ。 ルミクラのデッキ上で皆で今一度シャンペンで乾杯していただいた。 遠くには航海中何度も電話を下さったKMCの土岐さんの顔。ありがとう。
ここまで走り抜いたルミクラよ、おつかれさん。
わがままに付き合ってくれたクルーのみんな、ありがとう。
そしてご支援ご声援くださった皆さん、、本当にありがとうございます!!!
私の一生の思い出です・・・・。